【フォロ・ロマーノとパラティーノの丘】古代ローマの歩き方

パラティーノの丘

バシリカ・アエミリア

フォロ・ロマーノ(バシリカ・アエミリア)

フォロ・ロマーノで最初に建設されたバシリカです。バシリカ(バジリカ)は現代では聖堂という意味で使われることが多いですが、当時は公会堂を意味し、裁判や重要な会議が行われる場所でした。

アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿

フォロ・ロマーノ(アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿)

第15代ローマ皇帝でネルウァ・アントニヌス朝の第4代皇帝、アントニヌス・ピウスが彼の妻ファウスティナを祀るために建設した神殿です。ちなみにアントニヌス・ピウスは『テルマエ・ロマエ』にも登場し、映画では宍戸開が演じていました。

ロムルス神殿(サンティ・コスマ・エ・ダミアーノ聖堂)

フォロ・ロマーノ(サンティ・コスマ・エ・ダミアーノ聖堂)

テトラルキア(四帝分治制)時代の皇帝、マクセンティウスが14歳で早世した息子ウァレリウス・ロムルスのために建設を命じた神殿です。ロムルス寺院、ロムルス廟とも呼ばれます。6世紀に、サンティ・コスマ・エ・ダミアーノ聖堂というキリスト教会に改築されました。

マクセンティウスのバシリカ(コンスタンティヌスのバシリカ)

フォロ・ロマーノ(マクセンティウスのバシリカ)

先ほどご紹介したマクセンティウスが、同じく建設を命じたバシリカ(公会堂)です。神殿もバシリカも、彼が完成を見ることはありませんでした。ミルウィウス橋の戦いで彼を討ち、帝国の再統一を果たしたコンスタンティヌス1世があとを引き取り完成させたといわれています。ちなみにこのときの勝利を記念して建てられたのが、フォロ・ロマーノの東隣にあるコンスタンティヌスの凱旋門です。

コンスタンティヌス1世といえばキリスト教会を公認したことで有名ですが、バシリカの建築様式をキリスト教会に応用したことで、現代では聖堂そのものを指す言葉としても使われるようになりました。

ティトゥスの凱旋門

フォロ・ロマーノ(ティトゥスの凱旋門)

ローマ帝国第10第皇帝、ティトゥスの功績を讃えるために、その弟で第11第皇帝となったドミティアヌスが建設しました。フォロ・ロマーノの西端にあるセプティミウス・セウェルスの凱旋門が西の凱旋門なら、ティトゥスの凱旋門は東の凱旋門です。 

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