ニースの基本情報
ニースは、アルプ・マリティーム県の県庁所在地で、パリ、マルセイユ、リヨン、トゥールーズに続く、フランス第5の都市です。人口は約34万人で、日本だと滋賀県大津市や北海道旭川市が同じ規模です。
観光客数はパリに次いで多く、フランス第2の観光都市とされています。
フランスの南東部、地中海沿岸に広がるコート・ダジュール(Côte d'Azur)と呼ばれる地域の中心都市です。ニースの東には「F1モナコグランプリ」で有名なモナコがあり、西には「カンヌ映画祭」で有名なカンヌがあるという位置関係です。
ニースのカーニバル
ニースのカーニバルは、ヴェネチアのカーニバル、ヴェアレッジョのカーニバルと並んで、「ヨーロッパ三大カーニバル」の一つです。
詳しくは、下の記事をご覧ください。
ニースの歴史
古代にはニカイア(Nikaïa)と呼ばれており、ニースの地名もこれに由来します。
国境近くに位置する都市の宿命として、大国間の争いに翻弄されてきた歴史でした。とりわけフランスとイタリアが、ニースの土地をめぐって激しく対立してきました。
18世紀末、フランス革命戦争によってニースはフランスに併合されます。フランス革命戦争はフランスにとって大成功とも呼べる戦争でしたが、続くナポレオン戦争ではイギリス、ロシアをはじめとする連合国に敗北し、戦後処理を決めた1815年のパリ条約によって、ニースはサルデーニャ王国に割譲されます。
フランス(第二帝政)の支援を受けたサルデーニャ王国を中心とした独立運動によって、ついにイタリア統一が果たされますが、その見返りともいえる「プロンビエールの密約」により、あと一歩のところで惜しくも、イタリアはニースを領土とする機会を失います。
第二次大戦中、ムッソリーニ率いるイタリア軍は「失地回復」を合言葉に、一時ニースを支配下に置きますが、敗戦によってついにその野望が叶うことはありませんでした。
これにより、現在まで続くニースの帰属が決定しています。
もしニースがイタリアであったなら、ニースのカーニバルはバランスを取るために、「ヨーロッパ3大カーニバル」から落選していたかもしれません。でないとヴェネツィアとヴィアレッジョを足して、「イタリア3大カーニバル」になってしまいますので。
ニースの観光スポット
道草旅行社おすすめの観光スポットを、1位から順にご紹介します。
「プロムナード・デ・ザングレ(Promenade des Anglais)」はフランス語で、「イギリス人の遊歩道」という意味です。18世紀から19世紀にかけて、イギリスの富裕層が保養地としてニースを開発したという歴史があります。
ワンちゃんたちにとっても、こんなに気持ちのいい散歩道はないのではないでしょうか。