ヴァティカンの基本情報
ヴァティカンは、世界中から巡礼者の訪れる、ローマ・カトリックの聖地です。
面積はわずか0.44 km2で東京ディズニーランドよりも小さく、世界最小の国家でもあります。周りをぐるりと、イタリアのローマ市に囲まれています。人口は約800人で、そのほとんどが聖職者です。
「バチカン市国」という呼び方の方が一般的かもしれません。
ヴァティカンの歴史
ヴァティカンという国家は、中世初期の752年に成立した「教皇領」にルーツを持ちます。教皇領はローマを首都として、イタリア中部を支配していました。
19世紀にサルデーニャ王国を中心としてイタリア統一が果たされますが、教皇領は接収され、イタリア王国の一部となります。これにローマ教皇ピウス9世は反発し、イタリア政府関係者を破門するなど、強硬措置をとります。1929年、ムッソリーニの時代に「ラテラノ条約」が締結され、半世紀に及んだローマ教皇庁とイタリア政府との対立関係が解消します。このとき、ヴァチカンという新たな枠組みによる国家が誕生します。
ヴァティカンという土地は、古代ローマの郊外にあって埋葬地(ネクロポリス)でした。イエス・キリストの第一使途であり、初代のローマ教皇とされる聖ペテロもこの地に埋葬されていると考えられています。
4世紀、初めてキリスト教を公認したローマ皇帝、コンスタンティヌス1世によって、この地に聖ペトロの墓所を祀る教会堂が建てられます。これが初代のサン・ピエトロ大聖堂です。「サン・ピエトロ」は、「聖ペトロ」をイタリア語の発音に寄せて読んだものです。しかしこのときはまだ、「大聖堂」と呼べるような代物ではありませんでした。
ローマ教皇の座所は、伝統的に「ラテラノ宮殿」(現ローマ市内)であり、司教座聖堂は隣接する「サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂」でした。1309年、フランス王国によってローマ教皇庁がフランスの田舎町アヴィニョンに移されます。1377年、ローマ教皇はローマへの帰還を果たしますが、宮殿は荒廃していました。
ローマ教皇が新たな座所として選んだのが、ヴァティカンでした。ここにヴァティカン宮殿を建設し、移り住みます。それに隣接する司教座聖堂として、サン・ピエトロ大聖堂が再建、改築され、現在の形となります。
ヴァティカン宮殿は一部を除いて、「ヴァティカン美術館」として一般に公開されています。
ヴァティカンの観光スポット
道草旅行社おすすめの観光スポットを、1位から順にご紹介します。
4世紀にコンスタンティヌス1世によって建てられた、聖ペトロ(サン・ピエトロ)の墓所を祀る教会堂が元になっています。17世紀にローマ司教区の司教座聖堂として再建、改築され、現在の形となります。
「司教座聖堂」とは「各地域(教区)の中心となる聖堂」という意味なので、世界中に教区の数だけ存在しますが、ローマ教皇がみずから管轄する「ローマ司教区」の司教座聖堂は特別な意味を持ちます。「司教座聖堂の中の司教座聖堂」といえます。
日本では比喩的に、サン・ピエトロ大聖堂あるいはヴァチカンのことを指して、「カトリックの総本山」と表現します。
手前は、カルノ・マデルノによって制作された聖パウロの像です。大聖堂の屋上には、13体の聖人像が飾られています。
クーポラに上るためのチケットには2種類あり、1つは「エレベーター+階段(320段)」、そしてもう1つは「階段のみ(551段)」です。「エレベーター+階段(320段)」を選択した場合、写真の場所からが階段になります。どちらも、320段は共通です。