飯盛山の見どころ
会津若松は、戊辰戦争(会津戦争)の舞台にもなります。13歳から17歳の少年たちによって構成された白虎隊が、圧倒的な戦力の新政府軍と対峙します。隊の一部は飯盛山に逃れ、そこで自刃するという悲劇の最期を遂げます。
白虎隊十九士の墓

飯盛山には、白虎隊士を慰霊する墓所があります。正面参道には183段の石段があり、有料のエスカレーター「動く坂道」も設置されています。動く坂道を利用しても最後に階段があるため、足元に注意してください。
白虎士中二番隊の20人は戸ノ口原から退却し、飯盛山へたどり着きました。1人だけが蘇生し、自刃した16人と、それ以前に戦死した3人をあわせた十九士の墓が建立されています。
白虎隊士自刃の地

白虎隊士自刃の地に立つ石像です。ここで煙と炎に包まれる鶴ヶ城を見て、自刃を決意したと伝えられています。城そのものが落城していたわけではなく、城下の火災を見て判断したとされています。
戸ノ口堰洞穴
戸ノ口堰洞穴は、猪苗代湖の水を会津盆地へ引く用水路の一部です。白虎隊士は戸ノ口原から退却する際、この洞門を通って飯盛山の北麓へ抜けたと伝えられます。白虎隊の退却路を現在の地形と重ねてたどれる、飯盛山の歴史を理解するうえで重要な場所です。
ローマ市寄贈の記念碑

1928年(昭和3年)、ローマ市から寄贈された記念碑です。ポンペイ遺跡から発掘された柱が使われています。白虎隊の武士道精神に捧げられています。
ローマの遺跡や観光については、ローマの記事で詳しく紹介しています。

白虎隊記念館

白虎隊や、新島八重(山本八重)など会津の偉人についての資料が展示されています。飯盛山の史跡を歩く前後に立ち寄ると、戊辰戦争と白虎隊の背景を理解しやすくなります。
会津戦争では、「幕末のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる山本八重(新島八重)も銃を手に取り参戦します。八重は戦争を生き延び、同志社創立者である新島襄の妻となります。八重の生涯は、NHK大河ドラマ「八重の桜」の中で描かれています。
飯盛山と白虎隊の歴史は、会津若松観光ナビを2026年9月19日に確認しました。
飯盛山の基本情報
以下は、公式観光情報を2026年9月19日に確認した内容です。飯盛山の史跡は屋外にあり、見学自体に共通の入場料はありません。会津さざえ堂、動く坂道、白虎隊記念館などはそれぞれ有料で、営業時間・料金・休業日が異なります。旅行前に各施設の最新案内を確認してください。
- 🔗 公式観光情報
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【飯盛山】白虎隊十九士の墓幕末の大きな時代の流れの中で戊辰に散った白虎隊の霊が眠る|戊辰戦争のおり、16~17歳の少年たちで編成された白虎士中二番隊が戸の口原合戦場から退却し、滝沢峠の間道を通り、戸の口堰の洞門をくぐり飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣は黒煙の中に見え隠れして、「城は陥落したか、今は主君のために殉じよう」と、全員が自決しました。...
- 📍 住所
- 福島県会津若松市一箕町八幡弁天下
- 💶 入場料金
- 飯盛山の史跡散策は無料です。会津さざえ堂、動く坂道、白虎隊記念館などは別料金です。
- ⏱️ 所要時間
- 以下は、記事で紹介する見どころを基にした、当サイトによる目安です。白虎隊十九士の墓、自刃の地、会津さざえ堂を巡る場合、60〜90分が目安です。所要時間は見学範囲によって変わります。白虎隊十九士の墓と自刃の地を中心に巡る場合と、会津さざえ堂や白虎隊記念館まで見学する場合では必要な時間が異なります。⚠️ 正面参道には183段の石段があり、動く坂道を利用しても最後に階段があります。体力や混雑に応じて余裕をみてください。
飯盛山のアクセス
アクセス方法は、会津若松観光ナビを2026年9月19日に確認しました。
まちなか周遊バス
会津若松駅から「ハイカラさん」または「あかべぇ」に乗り、「飯盛山下」で下車して徒歩約5分です。
自動車
磐越自動車道の会津若松ICから約15分です。飯盛山観光案内所の隣にある飯盛山市営駐車場を利用できます。
周辺の見どころと交通案内は、公式のモデルコースでも確認できます。
飯盛山とあわせて巡りたい会津若松の観光スポット、市内交通、モデルコースについて、詳しくは会津若松の記事をご覧ください。
